按:去年2月起,以網絡右翼團體「在特會」為主的日本極右勢力幾乎每周末都在東京「韓國城」示威挑釁,而在6月16日,日本極右團體成員在東京都新宿區大久保「韓國城」舉行種族主義排外示威。
譯自東京都知事候選人宇都宮健兒 (Kenji Utsunomiya)臉書 翻譯/張建元
昨天在澀谷的行動。許多人停下了腳步參加。辛淑玉小姐的演講感動了許多人。我也是其中之一。她在最後提到「讓我們一起生活下去吧」。是的,我們必須讓東京成為一個大家都可以生活下去的都市。
※ 辛淑玉小姐的演說 @澀谷Festa
2014年2月2日
http://www.youtube.com/watch?v=zjdQ6UZ2afc&feature=share
我是在日朝鮮人第三代的辛淑玉。
我喜歡宇都宮健兒。
我在這邊沒有投票權。沒有投票權的我,來到這邊應援宇都宮健兒先生。如果這個人沒有成為東京都知事的話,我們沒有明天,你和我沒有明天,我是這麼想的。
澀谷是我出生的都市,我是在東京都澀谷區出生的,母親也是在澀谷出生的。從此之後我就在這個都市一直走過來到現在,我進入了在這後面的都立第一商業高校,是的,從這邊走過去馬上就到。
為什麼進到那間學校呢?有人告訴我即便是朝鮮人從商業學校畢業的話就可以找到工作。高中一年級的時候,我拼了命地努力學習,也學了記帳。現在是用計算機,當時還是用算盤。我也學了算盤。但是在日朝鮮人卻沒有一個人能找到工作。
於是我不去學校了,在這個都市裡徘徊。貧窮是很痛苦的,為了要上高中,要繳900圓的學費,對我而言是件非常困難的事。晚上我在燒肉店打工,白天學校有時候有去有時候沒去,清晨則是送報,收集空瓶空罐,一個換5圓。這樣勉強活了過來。在那後面的麵包店,我邊走邊想著這樣的錢可以買什麼吃。
貧窮很辛苦。這樣貧窮如我們這樣的生活方式,這個國家要求著現在的年輕人過著,沒有明天、沒有工作。聽說先前在冷凍食品裡頭混入農藥的人,年收只有200萬圓,實際領到的大概是16萬圓,要以這樣的薪資生活是一件相當困難的事。到了50歲,還是非正式員工。是誰讓社會變成這樣的,是現在的政權,是至今為止的政權。以及把這些事情裝做視若無睹,還搧風點火鼓動對立的東京都知事們。
2000年的石原慎太郎東京都知事的「三國人發言」時,我對此發表了異議。石原知事在那時候,說了「如果發生了大震災,那些第三國人會發起暴動,所以這時候自衛隊就必須要出動」。也就是說朝鮮人會做壞事,得把他們殺掉!我對此發出NO的聲音!
我生活在這片土地上,我和日本人,有著日本國籍的人們生活著。有著日本國籍的父親,以及朝鮮的母親,各式各樣的孩子們生活在這個城市。
東京是一個非常包容的都市,把我養育到這麼大,但這樣的東京逐漸消逝。你看看,讓你和我吵架正是東京一直以來所做的。
不是這樣的,你可以生活,我也可以生活,你我都不喜歡貧窮,你和我可以一起吃飯。高中畢業了想要工作,以及自己努力工作,可以得到足夠讓自己活下去的薪資。但現實是怎麼工作怎麼工作都看不到未來。
我時常被問到「為什麼你會成為公司的經營者呢?」我經營了公司已經30年,為什麼成為經營者呢?這是因為找不到工作呀,找不到工作才變成老闆。
如果我,如果這邊是一個更沒有歧視的東京,如果我不是做為一個女性出生,如果我不是以朝鮮人身分出生,或許會有不一樣的人生吧。我有時會這麼想───但我是在這片土地,做為一個第三代在日朝鮮人,在這裡出生在這裡長大。
然而現在,東京成為一個仇恨犯罪,種族主義的發源地。「管他是好的朝鮮人,壞的朝鮮人,通通殺掉」這樣話語,每週每週,包覆在東京這個都市,我變成了一個被殺害的對象。但這裡是我的故鄉。即便被叫罵滾出去,這裡是我的家,我生活在這裡,我在這裡吃飯,我在這裡戀愛,在這裡,我現在生活著。
我對於種族主義發起了「norikoene(暫譯:度過網)」。為什麼我成立了度過網呢?這是因為有很多和我們一起,不想要讓這個國家,這片土地、這個澀谷、這個新宿,不想要讓她成為種族主義者的城市,共同發出異議的朋友們的存在。我想要追尋這些人的足跡。
於是我在那時候提出了詢問。
「宇都宮先生,可以請您一起參與『度過網』嗎?」
他二話不說馬上答應OK。
在投票時不會成為那一票票源的人,為了這樣的人發聲,至今為止有這樣的人嗎?喜歡人權卻不喜歡當事者的人們並不在少數。在充斥著謊言的政治當中,在半徑300公尺當中,讓你我能一起生活下去,將此概念實際訴諸行動正是站在我旁邊的宇都宮先生。所以我喜歡宇都宮健兒。雖然我沒有那一票,但我支持他。
請大家多多關照他。讓我們一起生活下去吧。
公庫註:本文刊出後,臉友Niceboat Shan 來信,提供讀者不同的看法,我們將其刊登如下:
-
敬啟者:
您好,關於本日揭載辛淑玉演說一文,個人閱後感到只針對極右民族主義者進行批判,而未詳述辛氏本人的極左立場,或有補充多方觀點之必要。辛氏的極左立場可參考此影片
http://www.youtube.com/watch?v=7-QCHaAjv2U&feature=youtu.be而辛氏在在日問題上也曾有以偏概全(單論在日定義則可謂捏造,戰後來日的在日人數比起戰前是壓倒的多)的暴言
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22024555?via=thumb_watch另外在東京進行遊行的不只是辛氏批判的極右在特會,辛氏擁護的極左しばき隊同樣以暴制暴,背後也是暴力團體。在報導日本(特別是東京)的種族對立問題時,只以一面之詞給予單篇報導,有所不宜。
公庫再註::以下是原譯者張建元針對Niceboat Shan的回應
針對Niceboat Shan回應,譯者有以下想法:
譯者當初沒有意圖對極右種族主義者進行批判,
本文為在東京都知事候選人宇都宮健兒選舉活動場合,
辛淑玉所發表言論深深感動,
因而自主翻譯為中文。
我同意本文是無法針對日本種族主義崛起進行完整爬梳。
更詳細內容可以參考下文和留言(大推)
<言論自由與仇恨性言論 — 憎恨與愛國>
第一個標題便是:◎「殺死他們」的口號是被容許的嗎?
https://www.facebook.com/tw.antimonopolynea/posts/557600157664537?stream_ref=10
另有關在特會行動違法判決:
關於幾個關鍵字可先參考維基百科,當然維基百科也是左右翼角力的場域:
在日韓國人、朝鮮人
英文:http://en.wikipedia.org/wiki/Koreans_in_Japan
中文:http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%9D%E9%B2%9C%E6%97%8F
在特會
英文:http://en.wikipedia.org/wiki/Zaitokukai
中文:http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E7%89%B9%E6%9C%83
官網:http://www.zaitokukai.info/
辛淑玉
日文:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E6%B7%91%E7%8E%89
レイシストをしばき隊(暫譯:幹爆種族主義者隊)
「在都市裡頭對一般市民或林進店鋪進行騷擾、言語辱罵、施與暴力的網路右翼,對他們進行說教」
「行使一切必要手段來停止種族主義」
現為C.R.A.C. Counter Racist Action Collective
官網:http://cracjpncs.tumblr.com/
のりこえねっと(暫譯:度過網)We Shall Overcome!
但我也對N先生所提出影片全數閱覽:
第一篇
http://www.youtube.com/watch?v=7-QCHaAjv2U&feature=youtu.be
應為討論日本憲法的節目
辛小姐提到關於日本憲法第9條的解釋提到,「日本國不戰爭,不殺人」。但她認為不應該到此為止,就算日本人被殺,也不殺人。也就是說不管對方用怎麼樣的暴力,自己也不使用暴力。
和該影片的標題:在日朝鮮人「日本人被外國人侵略也不要抵抗等著被殺吧」
是有所出入的。
從其所附上的其他影片判斷,該影片上傳者應為日本右翼支持者。
第二篇
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22024555?via=thumb_watch
辛小姐發言翻譯如下:
如果說現在不發起戰爭,不在眼前目睹殺人,無法瞭解戰爭的狀態,那實在是太超過了。至少在你們的周圍有著如山一般多的被戰爭的後遺症所苦,戰爭的被害所苦,戰爭的犧牲者存在著。
戦争を今起こして、
目の前で人を殺して、
殺さなければ戦争の状態がわからないというのはとんでもない話で、
少なくとも、あなたたちの周りには戦争の後遺症、戦争の被害、戦争の犠牲者になった人たちが山のようにいるわけですね。
這是什麼,比如說在日韓國朝鮮人正是。你們所策動的,比如說在和平的情況下,跑進人家家裡強暴婦女所生下的小孩就是在日韓國朝鮮人。這些人明明在你身邊,且你們造就了他們無法用自己的名字生活的社會,對此視若無睹。明明張開眼睛就可以看到戰爭的傷痕還血淋淋的擺在那邊,卻連看都不想看(以下略)。
それは何なのか、例えば在日韓国朝鮮人が正にそうですよ。あなたたちが仕掛けて、そしてたとえば、平和のうちに入ってきて強姦して生ませた子供たちが在日韓国朝鮮人ですよ。その人たちが隣にいて、尚且つ自分の名前で生きることもできない社会をつくっていて、それさえ気がつかなくて、目を開けてみれば今でも戦争の傷跡が生々しくあるにもかかわらず、なのに、見ようともしない、なにか戦争しようとか、なにかしようと思えば、海外にでればわかるだろうとか、もしくは…
N先生指辛小姐對在日問題上以偏概全
戰後來日的在日人數比起戰前是壓倒的多。
卻不對在日韓國朝鮮人問題或特別永住者的歷史淵源提出論述。
譯者認為這才是以偏概全。
譯者友人B先生則表示:
這個不管怎樣都無法反駁極右翼歧視的事實。
對幹爆種族主義者隊也僅指其為極左暴力團體。
並指辛小姐擁護該團體,卻沒有提出擁護的證據。
我認為N先生整篇文章或許只想對辛小姐貼上極左標籤把其鬥臭。
卻隻字不提辛小姐和度過網
參見http://www.norikoenet.org/declaration.html
對於消滅仇恨言論和種族主義的努力,有欠公允。
B先生則回應:
辛淑玉是不是極左和這篇文章的關係不大。這篇談的是日本的確存在極右民族主義,而且就朝鮮人或許多非日本人而言的確感受到威脅。
しばき隊的出現與辛淑玉是不是支持しばき隊也和這篇文章的主題無關。如果要談的話剛好可以談石原多年主政下對右翼的縱容造成左翼完全不信任政府會秉公處理,自力救濟才成為一種選擇,難道要被納粹打殺的猶太人不能反抗嗎?反而指責猶太人以暴制暴?
昨日の渋谷での行動。多くの人が足を止め参加してくれました。辛淑玉さんのスピーチに多くの人が感動しました。私もその一人。「一緒に生きていこうね」と彼女は最後に言った。そうです。東京を、みんなが一緒に生きていけるまちにしなければいけないんです。
※辛淑玉さんのスピーチ全文起こしを下記に掲載します。
辛淑玉さんスピーチ @渋谷フェス
2014年2月2日
http://www.youtube.com/watch?v=zjdQ6UZ2afc&feature=share
在日朝鮮人三代目の辛淑玉です。
私は宇都宮けんじさんが大好きです。
私はここに一票持っていません。一票持っていない私は、宇都宮けんじさんの応援に来ました。そして、この人が東京都知事になってくれなければ、私たちの明日はない、あなたと私の明日はない、と思っています。
渋谷は私の生まれたまちです。私は東京都渋谷区で生まれました。母も渋谷で生まれました。そして、私はこのまちをずっと歩いてきました。私はこの後ろにある都立第一商業高校に入りました。そうなんです、ここから歩いてすぐです。
なぜその学校に入ったのか。朝鮮人でも商業高校を出たら就職できるって言われたんです。高校一年のとき、一生懸命頑張って勉強しました。簿記もやりました。今は電卓だけど、当時はソロバンです。ソロバンもやりました。だけど在日で就職している人は一人もいませんでした。
そして私は学校に行くのをやめました。で、このまちを徘徊しました。貧乏は苦しいと思いました。高校に行くために、900円の授業料を出すというのは、私にとってはとても大変でした。夜は焼肉屋でアルバイトをし、昼間は学校に行ったり行かなかったりし、そして朝は新聞の配達をし、空き缶を集め、ビール瓶を集め、1個5円でした。それを換えてなんとか生きてきました。その裏にあるパン屋さんには、これで何が食べられるかと思いながら、歩きました。
貧乏は辛いです。そしてその貧乏な私たちのような生き方を、今の若者に、この国は強いています。明日がない。仕事がない。先だって冷凍食品に農薬を入れた人は、年収が200万円だと聞きました。手取りにしたら16万円くらいです。それで生きていくというのは、とても大変なことです。50歳近くになって、非正規で。そんな世の中にしたのは、今の政権であり、今までの政権であり、そして、それを見て見ぬふりをし対立を煽ってきたのは、東京都知事たちです。
2000年の石原慎太郎東京都知事の「三国人発言」のときに、私はそれに向かって声をあげました。石原知事はこのとき、「もし大震災が起きたときに、三国人たちが騒じょう事件を起こす。だから自衛隊よ、出てきてくれ」と言いました。つまり、朝鮮人たちは悪いことをするから、殺してくれと言ったわけです。それに対してNOの声をあげました。
私はこの土地で生きています。そして日本の人たち、日本の国籍を持った人たちと生きています。日本の国籍を持った父、そして朝鮮の母、さまざまな子たちがこのまちで生きています。
東京というのは、とても懐の深いまちです。私をここまで育ててくれました。その東京が、どんどん壊れていきます。見てください、あなたと私を喧嘩するように、この東京はずっとやってきたんです。
そうではない、あなたも生きて、私も生きて、あなたも私も貧乏は嫌です。あなたも私も一緒にご飯を食べていきたい。高校を出たら就職したい。そして自分が一生懸命働いたら、生きていけるだけの、生活をできるだけのお金が欲しい。でも、働いても働いても先がない。
「なんであなたは会社の経営者になったの?」ってよく言われます。私は会社の経営を30年やりました。なんでなったのか。就職できないからなったんですよ。就職できないから社長になったんですよ。
もし私が、もしここがもっと差別のない東京であったなら、もし女として生まれなかったら、もし朝鮮人として生まれなかったら、私にはもっと違う人生があっただろうか、と思うときがあります───だけども私はこの土地で、朝鮮人として、在日の三代目として、そしてここで生まれてここで育ちました。
そして今、東京は、ヘイトクライムの、レイシズムのメッカになりました。「良い朝鮮人も、悪い朝鮮人も、殺せ」という言葉が、毎週毎週、東京のまちを覆っています。私は殺される対象になりました。だけどもここは私の故郷です。出て行けと言われても、ここが私の家であり、ここで私は生きていて、ここで私は飯を食べ、ここで私は恋をして、ここで私は今、生きているのです。
私はレイシズムに対して、「のりこえねっと」というネットワークを立ち上げました。私はなぜ立ち上げたのか。私たちと一緒にこの国を、この土地を、この渋谷を、この新宿を、そういうレイシストのまちにしたくないと言って、声をあげてくれた友だちがたくさんいるからです。その人たちの後をついていきたいと思いました。
そして、私は、そのときに声をかけました。
「宇都宮さん、一緒に『のりこえねっと』をやってくれないだろうか」
彼は二つ返事でOKしてくれました。
一票にならない人間のために声をあげてくれる人たちが、今までいたでしょうか。人権は好きだけど当事者が嫌いな人たちがいっぱいいました。そして嘘ばっかりの政治の中で、半径300メートルの中で、あなたも私も一緒に生きていくという、これを実際に行動に移してくれたのは、私の隣にいる宇都宮さんです! 私は宇都宮けんじが大好きです。一票ないけど、私は彼を応援します。
みんな、よろしくね。そして、一緒に生きていこうね。